留学を挫折したニートが、転職するまでの約1年間の記録
2020年、いろんな人にとって、これまでにない年だったと思う。
それは、いろんな人が夢を諦めたり、環境に苦しめられたり、でも逆に新たな可能性を見つけたり、絆を深めたり、そんな年だったと思う。
私自身も、環境に振り回され自分自身に振り回され、人生でもっとも混乱した1年だった。そんな私のこの1年の変化について、書いて行きたい。
自分の中での記録でもあり、少しでも同じ状況にいる人に届いたらいいなと思う。
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2020年3月、会社を辞めた。ちょうど、新型コロナという言葉が出回り始めた時期だった。
新卒で入った会社は、いわゆる大手と呼ばれる会社で、収入も待遇も申し分なかった。社会人として働いた数年間は私はあまり後悔はない。自分の選択も間違ってなかったと思う。
ただ、社会人として働く中で、どうしても勉強したいことが出来た。それは、大学時代から少しずつ考えてきた「働くこと」そのものを抜本的に変えたいという願いからきていた。働き方や組織の在り方について勉強をしたいと考え、そのためには海外の事例も含めて自分の中で知識を貯めることが必要だと結論づけた。
そうだ、海外の大学院にいこう、ある冬の日にそう思い立ったのだ。
そこからの行動は早かった。ひとまず会社を辞めようと思い、上司に相談した。大学院について色々と調べ、このタイミングだと2020年9月には少し間に合わなさそうなこと、お金も必要なことを知った。
流れとしては、2020年秋頃から海外に拠点を置き、勉強しつつバイトをしながらお金を貯める、その後大学院をいくつか受験し、2021年ごろから大学院で勉強を始める。というものだった。それまではアルバイトをしつつ、東京にいながら勉強をしようと考えていた。
ただ、そう思い立ったあの冬の日から、私が会社を抜けて、外の世界に飛び出そうとする時、状況は大きく変化していた。
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4月、新型コロナは日本でも猛威を振るい始め、「緊急事態宣言」が発令された。
その時、私は仕事も、家も、なにもない人として東京にいた。
勤めていた企業の寮に住んでいた私は、仕事を失うと同時に家も失っていた。部屋探しを始めた3月頃、コロナの話題はニュースのメイントピックになりつつあり、都心に人気が少しずつ減っていった。
4月始めに、ひとまずギリギリで安くて小さい部屋を見つけ、そこに住まうことにした。さらに海外に行く前に受けようとしていた興味のある公開講座が次々と休講になり、部屋から一歩も出ない生活が続いた。
もちろんそんな中でも勉強は出来る。今後のことを考えて、英語の勉強もしなければ行けなかったし、自分の勉強したい分野の文献を読むことも出来た。
ただ、心に巣食う漠然とした将来に対する不安が、毎日少しずつ自分の心を蝕んでいった。
勉強をしたいのに、勉強に集中できなかった。ただ、部屋の中にいて、気晴らし程度に NetflixやHuluなど動画配信サイトで、ドラマを見る生活。部屋にいながら、ただ時間を消費するだけ。面白いコンテンツを見て、現実逃避をする。
そんな自分に、だんだんと自己嫌悪が襲ってくる。自分の将来のために「仕事をやめる」という決断をしたのに、あの選択は間違ってたんだろうか。勉強したいと思って飛び出してきたのに、勉強が出来ない。将来が見えない。どうしたらいいんだろう。
その繰り返しで、緊急事態宣言の中、日々がただ過ぎ去っていった。
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その数ヶ月後、東京にいることを諦めた。これ以上、限界だった。
一人で部屋に閉じこもって、仕事もない人間が東京という土地にいるのは、金銭的にも精神的にも限界だった。
実家に帰るという選択をした時、「後悔」「両親に対する申し訳なさ」に押しつぶされそうだった。けれど、それ以上に、自分の中で東京に居続けることは限界を迎えていた。両親は自分を何も言わずに迎え入れてくれた。ひとまず、人の居る生活が手に入った。
そしてその時は、もう自分自身勉強することを諦めていた。もしかしたら、「大きな間違いを犯した」のかもしれないとすら思い始めていた。
実は、あの冬の日に決断した「海外で勉強したい」という思いは偽物で、ただ社会人生活という現実から逃げ出したかっただけなのかもしれない。そう思っていた。
勉強するというモチベーションも霧の様に消え失せて、残った自分のかすかな心で、たまたま見つけたリモートワークを週2〜3でやる日々。
アラサーにもなって実家に住み、ただ漠然とアルバイト生活をするなんて思ってもなかった。
たった数ヶ月前は、自分の将来設計に胸を高鳴らせていたのに...。
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世界的な流行となった新型コロナの収束予測は、時を経るごとに長期化していった。
最初の頃は、2020年内には収まるのではないかという声もあったが、初夏頃には到底無理な話だということが見えてきた。
さらに、夏を過ぎる頃には、2021年も怪しいという話まで出てきて、この新しい病気と人類との戦いは長期化する見通しが立ちつつあった。
私の、留学の計画は最早どの局面に置いても、無理な話となっていった。
その頃、やっと自分の中でも、この状況と折り合いがつき始めた。あの緊急事態宣言から4ヶ月弱。少しだけ、目の前のことを考える余裕が出来た。
自分の中でした決断に後悔をし、どうしても前を向けずにいたが、実家に帰ったということと、その頃から習慣として始めた「散歩」がいい気分転換となり、少しずつ気分が立て直されていった。そしてやっと自分とこの環境に向き合う決心が着いた。
よく実家近くの田んぼ道を歩きながら、今後どうするべきなのかを考えていた。実家はど田舎に位置しており、道を歩いている人などほぼいない。ばったり出会うのは、鬱陶しい蚊の大群ぐらいだった。
歩いていると、スマホやネットからの情報から遮断され、ただ自分の思考と向き合うことが出来た。歩きながら問いかける。どうする、どうしたい、自分?
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やっぱり、もう一度社会に出るのがいいんだろうな、と歩きながら考えることが多くなった。
言っても自分はアラサーだ。友人の同級生たちは皆働いているし、私も数ヶ月前まできちんと働いていた。かたや、この数ヶ月間、ほぼニート状態の自分。アルバイトとはしていると言えども1年前と比べればもう働いていないに等しい。
「働き方」について考えたいと、会社を飛び出してきたのにこの有様である。と自分を卑下したこともあった。こんなニート期間があるアラサーをどこが雇ってくれるんだろう、とも言いたくなった。コロナ禍でどこの企業も、経営は厳しいはずだ。
転職という道を選んだ時に、状況はますます厳しくなるだろう。
あまり前向きな選択ではなかったが、「転職をしよう」とやっとここで考えることができた。もちろん、日本の大学院にいくという選択もできたとは思う。ただ、私が選んだ計画の中では、海外に行くことはマストだったし、日本で学ぶのであれば、仕事をしながらの方が絶対にいいと思っていた。
ここで始めて、自分の中で描いていた空地図を変更し、転職をしよう!と思いたったのだった。
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思い立ったものの、転職活動は難航した。
転職の動機が後ろ向きなものであったという部分もあるし、ニート期間を挟んでいるアラサーの経歴はなかなか通り辛い。さらにその理由が「海外に行きたくて、行けなくなったので」なのだ。すぐ居なくなってしまいそうだから、と門前払いもされた。めちゃくちゃわかる、と自分でも納得した。
なにより、このチョイスを心の奥底で納得をしていなかったというのもある。環境的な要員で、進学ではなく転職を選んだという、負の感情。そこをきちんと処理しなければ、転職は難しいと感じ始めた。
そこで、この転職で実現したいことを考える必要があると思った。この決断を「自分自らがしたポジティブなもの」にする必要があったのだ。
改めて、自分がやりたいことはなんだろう。知りたいこと、自分の興味のあることはなんだろうと考えた。自己分析のための書籍を読んだり、カウンセリングを受けたりした。
その中で、一番真っ先に書いた言葉が「働き方について考えたい、そのために知識をつけたい」だった。
この言葉が真っ先にでてきたことに、まず驚いた。
コロナ禍で、後悔していたあの選択。自分が学びたいなんて思いは幻だったという思い。それなのに、私の心の中から素直に出てきた言葉は、あの冬の日に出てきた言葉と全く同じだった。
嬉しかった。私、まだちゃんとあの時に感じた気持ちだったり、やりたいと思ったこと、やりたいと思っているんだって。
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その言葉をもう少し考えることにした。
その当時は、働くことよりもまず知識がなさすぎるから勉強しよう!という気持ちが強かったが、働き方について考える仕事であれば、働きながら自分のやりたいことも実現できるのでは?と考え始める様になった。
さらに、もっと言ってしまえば、働くことは「働き方を考える」ことでもある。
自分なりに、「働き方を工夫できる職場」「多様な働き方がある職場」にいれば、自分のやりたいことの一部である、「働き方について考える」は実現出来そうだ。
その点に気づいてから、今回の転職の目的を改めて再定義した。
自分の実現したいことを真っ直ぐに面接でぶつける様になった。
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転職活動を始めて、4ヶ月。自分の実現したいことを再定義して2ヶ月。
やっと1月。転職先がきまった。
多様な働き方を認める企業で、その中で自分のやりたいことと、自分のできること、企業側が求めていることが奇跡的に一致し、自分自身納得して、先に進めることになった。
ここまでくるのに、本当に長かった。
やりたいことがある!と会社を意気揚々と会社を飛び出したにもかかわらず、うまく行かなくて、自分のことが嫌いになって、後悔ばかりして、、、そこからやっと立ち直って、転職活動を始めて、最後にやっと自分が納得できる選択ができた。
この1年で感じたことがたくさんある。
それは、自分の力ではどうにもできないこと(社会環境)があるということ。
環境の変化に適応するのには数ヶ月かかるということ。
社会の外れ者になると、見えてこなかった側面が見えてくること。
散歩は、一番の特効薬なこと。
なによりもこの1年間、自分本当によく頑張ったなと褒め称えたい。
もっとできる人、意思が強い人は、もっと早く転職できただろうし、いろんな違う方法をとって自分のやりたいことを実現できたのかもしれない。でも、自分の中ではこれがやっとだった。1年間ギリギリの中、よく生き抜いたって、自分を抱きしめたい。
この1年の変化を一言で言うと、自分を少しだけ好きになった。
どうにもうまく行かない日々もたくさんあるけど、少しずつ納得して生きていくしかないと割り切れるようになって、自分がだめな時も好きになれた。
あの日々を美談にするつもりはないけど、自分のペースでこれからも生きていこうと思う。